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【コーヒー生産国】豊かな自然と複雑な歴史を持つモザンビークのコーヒー事情

絵画のように美しい海岸線と中世の港町を擁し、紀元前4世紀にまで遡る文化的な歴史を持つモザンビークでは、スペシャリティコーヒーの出る幕はないように感じられるかもしれません。しかし実は栽培条件に恵まれ、地元でもコーヒーの品質に目を向けられるようになってきたことから、同国のコーヒー生産量は増加の一途を辿っています。

モザンビークのコーヒーの歴史を掘り下げつつ、明るい未来を期待させる現状に迫ります。

人口 : 3208万人(2021年)

平均年収 : 491.84米ドル

世界で唯一、国旗に武器(AK-47)が描かれている

公用語はポルトガル語。すべての公立校で教えられているが、地方ではあまり使用されていない。マクア語、セナ語、ツォンガ語、ロムウェ語など、地域ごとに30ほどの言語がある。

国名「モザンビーク」の由来は、モザンビーク島に住み着いて財をなしたアラブ人商人、ムサ・ビン・ビークだと言われている。モザンビーク島は沖合にある絶景の島で、ポルトガル領東アフリカの最初の首都だった。

アフリカのコーヒーベルト南端に位置するモザンビークでは、コーヒー農園が増えはじめただけではなく、民間事業が農園の増加を好機と捉え、山林保護、農村地域の所得アップ、孤立したエリアへの連絡道路開通に取り組んでいます。とはいえ、まだ国際コーヒー機関に加盟していないため、総生産量などの正式なデータは公開されていません。

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モザンビークの歴史

アフリカ南部、最古の居住民として知られているのがサン人とコイコイ人です。今でも多くがこの地で狩猟生活を送り、古代人の行動を伝える貴重な生き証人となっています。洞窟の壁画や石器は彼らと最古の人類を結びつけるものであり、モザンビークとその近隣諸国は、人類発祥の地ではないかと言われています。

1世紀の初め頃、先住民族に代わってこの地に住むようになったのが、現在のカメルーンやナイジェリアから耕作地を求めてやって来たバンテゥー族です。バンテゥー族がアフリカ南部のほぼ全域に勢力を拡大したことで、数々の王国や帝国が生まれ、アラブ世界との交易が始まりました。

ヨーロッパ人としては、ポルトガル人探検家のバスコ・ダ・ガマが1498年に初めてこの地に(大西洋を南下し、喜望峰を回って)足を踏み入れました。このとき、モザンビークはすでに洗礼された社会と文化が存在していました。その後ポルトガル人はモザンビークに留まることを決め、16世紀から17世紀にかけて統治を固めるため現地指導者たちと同盟を基盤にした複雑な政府モデルを確立し、政府から認可を受けたヨーロッパの民間企業に土地を分配しました。こうした企業のほとんどがイギリスやフランス、ドイツから来た投資家の管理下にあり、輸出用にどんな作物を植えるかを決めていたのも彼らでした、モザンビークの農業発展はヨーロッパの投資家が鍵を握っていたとうわけです。

その後、1975年にモザンビークは独立を果たし、モザンビーク解放戦線(FRELIMO)率いる新政権が、マルクス・レーニン主義に従い、外国人が所有していた資産を国有化しました。その後、モザンビーク民族抵抗運動という強力な野党が台頭すると、1977年から1992年まで内戦が続きます。この間、100万人を超える人々が命を落としたとみられ、今なお戦時中のトラウマに苦しんでいる人が大勢います。

当然のことながら、小規模な自給的農家以外はほぼすべて内戦中に農家を離れ、民間の農地は資金を立たれるか国有化されました。さらに国有農業法人の負債は増え続け、現地の通過は価値を失い、農業分野は仮死状態に陥ってしまいました。1984年、FRELIMOはマルクスレーニン主義の開発モデルを諦め、経済再建に取りかかります。民間からの投資が認められるようになった今でも、土地は国が所有・管理しています。農業の形態としては、大規模な農場はほとんどなく、小規模な農場がほとんどです。

コーヒー登場

昔からモザンビーク東部(沿岸部)には、コフィア属ラセモサ種(C.racemosa)、ザングエバリエ種(C.zanguebariae)、ルグストロイデス種(C.lugustroides)、サルバトリクス種(C.salvatrix)といった野生種のコーヒーが自生していました。私が知る限り、1800年代にこのあたりを通りかかったアラブ商人により北部のイボ島やキリンバス諸島にコーヒーが持ち込まれたそうです。現在は、国連が実施したプロジェクトがきっかけとなり、豊かなコーヒー資源を最大限に活用する計画が複数進行中です。これまでに160を超える小規模生産者が支援を受けて生産能力の強化、組織化、ブランディング、マーケティングに取り組み、農家の収入源が多様化し、新たな市場に進出できるようになりました。

主なコーヒーな生産地

モザンビークはアフリカ南東部に位置し、以下の高地地域がコーヒー栽培に適しています。

  • マニカ州(マニカ州):ザンビアとジンバブエの国境付近。標高1,000m以上の涼しい気候がアラビカ種栽培に適しています。
  • ザンベジア州(ザンベジア州):肥沃な土壌を持ち、最近新たな栽培地として注目されています。
  • ニアサ州(ニアサ州):ロブスタ種の栽培が進んでいる地域です。

気候条件

モザンビークの気候は熱帯性ですが、高地では涼しくコーヒー栽培に適した条件が見られます。

  • 雨季(11月~3月):成長期に十分な雨が降ります。
  • 乾季(4月~10月):乾燥した時期が収穫と加工に適しています。

コーヒーの特徴と風味

モザンビークのコーヒーはアフリカ産コーヒーらしい明るい酸味フルーティーな風味が特徴です。

アラビカ種(アラビカ種)

  • 風味:シトラス系の酸味、フローラルな香り、柔らかなボディ
  • 標高の高い地域で栽培されるため、品質が高い豆が多い

ロブスタ種(ロブスタ種)

  • 風味:力強い苦味とナッツ系の香り
  • ニアサ州や低地で栽培され、インスタントコーヒーやブレンド用に使用される

コーヒー産業の現状

モザンビークのコーヒー産業は小規模農家が中心で、組織化が進んでいます。

小規模農家の役割

  • コーヒー生産者の大半は小規模農家であり、1ヘクタール未満の土地で家族経営を行っています。
  • 協同組合形式で生産・輸出を行うケースが増加中。

生産量と輸出

  • モザンビークのコーヒー生産量はアフリカ全体の中ではまだ小さいですが、品質向上に向けた取り組みが進んでいます。
  • 主な輸出先は南アフリカ、ポルトガル、ヨーロッパ市場です。

課題と問題点

インフラ不足

  • 農村部の道路や港湾施設の未整備により、輸送コストが高い。
  • 生産後の適切な加工設備の不足も品質に影響を与えています。

気候変動

  • 異常気象や干ばつの影響が深刻化し、コーヒー生産量が不安定になることが課題です。

国際市場での認知度不足

  • 国際的な競争力を持つにはブランド戦略が必要です。
  • 近隣諸国のエチオピアやタンザニアと比較すると評価が低い。

なぜモザンビークのコーヒーが今になって脚光を浴びるようになったのでしょうか?

それは、この国が世界中に拡大していたポルトガル帝国のごく一部に過ぎなかったからです。ポルトガル帝国のドル箱植民地であるブラジルは、すでにコーヒー生産地としての地位を固めており、皮肉にも、それは支えたのはアフリカ東部からの奴隷貿易でした。1825年、ブラジルが独立すると、ポルトガルはコーヒー生産の軸足を最大の植民地、アフリカ南西部のアンゴラに移しました。ヨーロッパへの輸出という点では、アンゴラの方が都合が良かったため、モザンビークの農園に投資することなど眼中にはありませんでした。モザンビークでは、タバコ、サトウキビ、お茶、綿花といった商品作物の栽培に力を入れており、小規模な農家はモザンビークで主食として食べられているカシュー、トウモロコシ、キャッサバ、ピーナッツ、米、イモを栽培していました。

特徴・風味

モザンビーク産コーヒーはまだ国際市場では広く知られていませんが、シトラス系の酸味とフルーティーな香りが特徴とされています。アフリカ産コーヒーらしい明るい酸味と、中程度のボディ感が魅力です。

コーヒー産業の現状

モザンビークのコーヒー産業は規模が縮小し、国内消費よりも輸出がメインです。 海外は政府やNGOの支援を受けて持続可能な農業品質向上の取り組みが進んでいます。 特に小規模農家が多く、協同組合形式で生産・輸出するケースが増えています。

課題

  • インフラの整備不足(輸送や)設備
  • 気候変動による影響
  • 国際市場での認知度の低さ

モザンビークのコーヒー文化

国内のコーヒー文化はまだ発展途上で、都市部ではカフェ文化が徐々に広がりつつあります。地元産コーヒーだけでなく、輸入コーヒーも飲まれていますが、若者を中心にコーヒーへの関心が集まっています。

スペシャリティコーヒーへの希望

モザンビークのコーヒー文化

  • モザンビーク国内ではコーヒー文化はまだ発展途上。
  • 都市部(マプトやベイラ)​​ではカフェ文化が広がりつつあり、若者がコーヒーに関心を持ち始めています。
  • 伝統的な飲み方は特にありませんが、輸入されたインスタントコーヒーの利用が多いです。

今後の展望

モザンビークのコーヒー産業は、スペシャルティコーヒー市場での成長が期待されています。

  • オーガニック栽培フェアトレード認証の取得を進めることで国際的な評価が高まる可能性があります。
  • 観光産業との連携:コーヒー農園ツアーやカフェ文化の促進が地域経済の成長につながります。
  • 持続可能な農業:環境保護を重視した農法が注目される中、国際市場での新たなチャンスがあり得ません。

モザンビークのコーヒーは今後さらに注目される可能性があります。必要であれば、特定の品種情報や輸出統計も調査しますので、お知らせください!

モザンビークでも民間主導の事業により変化が起きつつあります。

チマニマニ国立公園やジンバブエ国境付近の山間部(標高、土壌ともに理想的なエリア)では、アラビカ種の栽培が推し進められています。カフェ・デ ・チマニマニ(Cafe de Chimanimani)、カフェ・ヴンバ(Cafe Vumba)、カフェ・デ ・マニカ(Cafe de Manica)といった国内民間企業によるアラビカ種の作付面積は285ヘクタール近くに達し、この先も拡大する見込みです。また、この3社は全国コーヒー生産者協会(AMOCAFE)の設立も陰で支えています。

AMOCAFEが支援している目玉事業「ゴロンゴサ・コーヒー・プロジェクト」は、現在までに1000軒を越す農家にコーヒーの買い付け、生産、精製方法を指導してきました。今やAMOCAFEは国内最大のコーヒー生産者であり、国内消費と海外輸出の両方で大きな役割を果たしています。かつてこの国の誇りであったゴロンゴサ国立公園は内戦により荒廃sh、公園内の動物の90%以上が死に絶えてしまいました。そんな背景から、同プロジェクトがカバーする領域は広範にわたり、自然の保護と再生だけでなく、間作用の種の配布、植林活動、地域住民を対象にした環境教育プログラムの提供などを通じて、自然を基盤にした経済の振興・促進に取り組んでいます。現在では、300ヘクタールを超える農地でコーヒーノキが栽培されており、プロジェクトが成功したことで、安定収入を求める地元農家の関心も高まっています。

農家を志す人はプロジェクトの主催者と一緒にコーヒーを飲み(驚くことに、これまでにコーヒーを飲んだことある人はほとんどいません)、アラビカ種について学び、共同農園への参加が家族にどのような恩恵をもたらすか説明を受けます。

ゴロンゴサでは、栽培期間が短いトウモロコシやイモの栽培に長年使用され荒れ果てた耕作地の再生にもコーヒーが役立っています。というのもコーヒー栽培には日陰を作り出すシェードツリー が必要となるからです。2030年までには、ゴロンゴサから国際市場に向けた生豆の年間輸出量は500トンに達する見込みです。

まとめ

徐々にではありますが、モザンビークにもコーヒー文化が芽生えてきています。

コーヒー生産の威信が高まったことで、さまざまなNGOがAMOCAFEを支援するようになり、一連のコーヒー生産事業への支援を拡大するような政府にも働きかけています。期待が寄せられる数々の投資が一つが、国連の支援を受けてザンベジア州でコーヒーを栽培する新たなパイロットプロジェクトです。他にもいくつかのプロジェクトが進行中で、数年のうちにきっとモザンビーク産のコーヒーが国内外で入手できるようになるでしょう。そうなれば、この国を訪れるコーヒー愛好家が、渡航前スーツケースいっぱいにホンジュラス やコロンビア の豆を詰め込む必要もなくなるはずです。

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名前:すばる 海外、コーヒー、仮想通貨関連の情報を経験を交えて発信 趣味:ダンス、音楽鑑賞、旅行 オンラインショップにて自家焙煎コーヒー販売中 DIGGIN TRIP COFFEE⏬ STORES : https://diggin-trip-coffee.stores.jp メルカリShops : https://mercari-shops.com/shops/c6pzQmuVFxmhztowc7M7C3?source=shared_link&utm_source=shared_link